茨木のり子様

誰からの称賛を得たいのか

さみしいのか

この小さな画面に向かって

ただひたすらに

私を必要としている人がいるのか

何度も確かめる

・・・・・・・・・・・・・・・・・
やることもやらず、
こんなどうしようもない
心境の時があります。

そんな時はさっさと寝なさい!
と言うでしょうか。

「自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ」*

スカッとします。
時々思い出して、
活を入れさせてもらっています。

茨木のり子さん、
もう一度、
心に焼きつけて読んだら、
やることやります。


*「自分の感受性くらい」茨木のり子 より

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交換日記

一年に一度、
夫の誕生日に私がメッセージを書き、
私の誕生日に夫が書く、という、
交換日記みたいなノートがある。
誕生日カードが一冊のノートに
まとまっただけ、とも言える。

ちょっと面白いかも、と思いついて、
5年目を迎えた。

私は書くのが好きだけど、
夫はそうでもないから、
面倒くさいだろうな、と思う。
まあ、お互い、
誕生日当日に書かなくなったし。
夫にいたっては、私の誕生日の
10ヶ月後に書いていたりする。
去年の誕生日の分も書いてない!

でも、一年のうちの一日でいいから、
ちゃんと相手のことを考えて書いた
メッセージはやっぱりいいと思う。
全ての文章にグッと来なくても、
たった一言の、その夫らしい字に、
心がじわーっとする。
読み返すと思う。毎年思ってる。

ほんとは、もう書くのやめてしまおうか、
とも思ってたんだけど。

もう少しこのノート、続けたい。

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心、持ってかれました

駅前でお祭りがあった。

黄色い風船があちこちで揺れてる。
パチンコ屋さんが配る風船。
着ぐるみはだいぶくたびれていたけど、
子ども達は嬉しそうだった。

息子に手渡された風船は、
するするっと飛んでいった。

勢いよく、
あっという間に。

「あの風船、どうなるの?」

私、なんて答えたんだっけなあ。

最近、若くして亡くなった
ミュージシャンのことを知った。
音楽を聴いて「酔いしれる」感覚は
あったけど、今回は
「心、持ってかれました」。

ずーっとその人の歌声とか、
姿とか、ピアノの音とか、
何度も何度も流れる。

どうして今いないんだろう。

青空に飛んでいく黄色い風船、
すごく楽しそう。
見ていて、
哀しいとも残念とも思わなかった。

自由!

その人は、
「今」をちゃんと生きてた感じがする。

「生きてる」って、
ただそれだけで希望なんだと知った。

私が今語ったら薄っぺらなんだけど。


今はいないけど、
出会えたことは
本当に良かった!
このことは言えるから、
その人の名前を私のブログに
書かせてもらいます。

不可思議/wonderboy

心からありがとう。

これからもよろしく!


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くしゃみと平和

くしゃみをした。
久しぶりに、思いっきり。
「うわー!」と息子。
ほんと申し訳ないけど、
スッキリした。

父のくしゃみは、ばかでかくて、
びっくりして、いつも身震いしていた。
ほんとやめてほしい、と思っていた。

そんなことをふと思い出して、
笑ってしまった。


これって平和の証だ。
平和でありつづけたい。

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たまごやき記念日

小学校五年生の時、
九州から神奈川のとある町に
引っ越してきた。

高いビルばかりで驚いた。
タクシーから見える景色に、
「うわー、都会だねえ。
 すごいねえ。すごいねえ。」なんて言って、
母に「シー」と言われた。
浮浪者と言われる人たちを見るのも
初めてで、ものすごく戸惑った。

「ぼやっと歩いてると、
 こわいおじさんにぶつかるぞ。」
と父に言われ、駅前のアーケードを
びくびくしながら家族で歩いた。
入った中華料理屋で、
普段泣かない姉がしくしく泣いていた。
私たち家族はものすごく緊張していた。

小学校では、方言がおもしろい、
と言われたけど、
あっという間に方言は消えてしまい、
ちょっと寂しいなあ、と思った。

確かその年、大山というところに遠足に行った。
そこで食べた、
母のたまごやきが忘れられない。
母が朝焼いてくれた姿が浮かんだ。
『あ~、おいしい。
 お母さん、ありがとう。』
とこっそり涙ぐんだ。

「りんご、食べる?」
友達が言ってくれた。
ちょっと塩の味がするそのりんごも
おいしかった。
その後、その子とは親友になった。


「たまごやき」と言うと、
この遠足を思い出す。
あの時の緊張感と、
たまごやきを食べて、
ゆるんだ気持ちと。

だから、たまごやきには格別な思いがあるのです。

しかし、

息子のお弁当に、たまごやきを入れたら、
「これ、いれないで。すきじゃない。」
と言う。しかも一度ではない。

しばらく入れなかったけど、
今日のお弁当に入れてみた。
ちょっとお砂糖多めで。

帰ってくるなり、
「ねー、おかあさん。
 たまごやき、めっちゃおいしかった。
 もっとたべたかった。」
だって。

本当に嬉しい。

良かったー!

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ごめんね、について

『あの人に謝らなくちゃ。』見かけるたびに思う。息苦しいこの感じを打ち破りたくて。でも、いや謝る必要なんてないし、と、あの日何があったかを、いちいち思い出して、ふみとどまる。こんなことを頭で何回も繰り返していたら、夢の中で私はその人にさっさと謝ってて、朝起きて、笑えた。

 

今日会って、思わず言いそうになった。『何かごめんね。』って。この「ごめん」、あの人は受け取ってくれるだろうか、と思っていたら、ちょっと間が空いて、ぎこちない「こんにちは」を交わした。やっぱり謝る意味なんてないな、と思った。「何か」って言葉も癇に障るかもしれない。

 

学生の頃、尊敬というよりも敬愛する先輩がいて、その先輩がたしかこんなことを言っていた。「ごめんね、と言うことで、自分が背負わないといけない重荷を軽くしている。なすりつけているんだよ。」と。

 

謝罪しないといけない場面はある。だけど、そうではない時の「謝り」って、先輩の言う「軽くするためのもの」なのかもしれない。自分がラクになりたいから。

 

 

ちょっとした与えられた試練。スッキリには至っていないけど、ちょっとずつ自分がどうしたらいいか、見えてきている。はず。もう謝ることを考えるのは辞めよう。窓をちゃんと開けよう。できるだけビクビクしないで、自分が好きな服を着て、会ったら「こんにちは!」って言おう。

 

と張り切ってみたものの、明日は夕方まで雨だそうで。快晴じゃなくて良かった。こんな心には、雨降りがいい。雨が落ち着くこの頃です。

伝えたかった

「○ちゃんって、告白とか絶対しなさそう。
 思いを秘めてる感じ。」
中学生の姪にこう言われた。
私がどんな中学生だったかを
想像してのコメント。大正解!

バカみたいだけど、
私には自慢できることがある。

中学の三年間ずっと好きだった男の子がいる。

卒業の直前、席が隣で嬉しかったなあ。
しかし、三年間で会話したこともない。
ものすごくモテてた。
かっこよかった。

目が合って、しばらく見つめあったこと、とか
一度だけ私のバドミントンのラケットを持って、
頭をポンポン叩いていたこと、とか
CDを友達に借りに行くと、
近くに来て見ようとしていること、とか
一方的な、私の幸せな記憶。

自慢にもならないか。

この男の子が、ずーっとずーっと
忘れた頃に私の夢に出続ける。
卒業してから、
会ったこともないのに。

夢の中でもあの頃と変わらなくて、
会話もしない。何か進展するわけでもない。

それが!
今朝方、夢の中で告白してた。
どんな状況かも忘れたけど、
「おはよう」と友達に言うような感覚で、
『あ、言っとかなくちゃ』と思って、
「好きです」って言った。
その子は顔をあげて『あ?』って顔してて、

目が覚めた。


銀色夏生さんの
『ひとりが好きなあなたへ』という
表紙が美しい本があって、
その本に出てきたコトバ。

「伝えないと始まらない
 伝えないと終わらない」

告白したのは、
この本を読んだからだ、間違いなく。

もうこれで夢に出てこないのかな。
それはそれで、ちょっとさみしいなあ。

まあ、夢だけど伝えられて良かった。

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