おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

後ろ向きスキップ

たっだいまー!

※まー、にアクセント。

50メートル向こうから声がする。

黄色い帽子をかぶった彼が

走って帰ってくる。

 

途中くるりと向きをかえ、

後ろ向きに変わる。

後ろ向きでスキップ??

前を向いたかと思ったら、

また後ろ向き。

ルンルンだねえ。

 

この分譲でそんなことしてるのは

彼だけ。

 

「遊ぶ約束したー!」

 

「行ってきまーす!」

 

「ぼくが遊ぶって言ったらあの子だから

 覚えておいて!」

 

放課後は課されたことから

解き放たれる時間です、

という言葉を聞いて

そうかそうかと思った。

彼は今まさにその時間。

解き放たれている!

 

後ろ向きスキップの小学生男子。

その姿をさっき思い出したら、

やはりおかしい。

夜ににやっと笑えるのは

心にとてもいい。

 

私のやさぐれとかどうでもいいわ、

って思える。

 

ありがとうね。

彼は小学二年生。

 

私の息子。

比べられない

比べられない。

苦しさは、特に比べられない。

 

会う人会う人、

ぽろりと教えてくれる。

そのことについて、

その人が感じている苦しみを感じ取る。

感じ取ったとしても、もしかしたら

その人が感じている(きた)苦しみの

1%も感じ取れていないかもしれない。

 

あー、苦しさは比べられない。

 

***

 

かなしいはずなのに、

そのことがその人を強くしていたりする。

とても かなしいはずなのに、

かなしそうな姿を見せない人がいる。

こっちがはげまされたりする。

 

 

簡単に、私はかなしい

なんて本当は言えないんだな。

けれどかなしいことはかなしくて、

 

比べられない。

 

今、かなしみの中にいるわけでは

ないのだけど。

 

***

 

友だちの少し困った横顔を見て、

私は何てことを言ってしまったんだろう、

って思った。思いながら、

ハーゲンダッツを友だちと並んで食べた。

ひとさじ、ひとさじ、

溶けかかっている抹茶味のアイスを

青空の下で食べた。

 

親友と過ごした与論島の浜辺を

時々思い出すように、

今日のことも時々思い出すと思う。

 

 

比べられないんだった。

自己憐憫になっては視野が狭いし、

とても気をつけなければいけない。

 

けれど、

私の苦しさと悲しさは

苦しさと悲しさなんだ。

思い出し笑い のち

自転車を10メートルこぐたびに、

笑いがこみあげ、

顔がニヤニヤしてしまう。

絶対に私

あやしい。

だから

その都度降り

後ろに乗っている娘の顔を

見(させ)て(もらい)

ごまかしながら盛大に笑う。

娘は「へ?」って顔しながら

変になった母を見てほほえむ。

娘、ありがとう。

 

これを商店街で三回は繰り返した。

 

***

 

店先にイスがひとつある。

いつもそこに座ることのない

このお店のおばちゃんが座っていた。

私の大好きなおばちゃん。

いつも

ガラスケース越しでしか会わないから、

思わずたずねる。

 

「どうしたんですか?」

 

「検便行ってきたのよ」とおばちゃん。

 

「春と秋に二回あるんだよ」と

 

奥にいるおじちゃん。

 

「そう、検便行ってきたのよ

 疲れちゃってね」

 

繰り返すおばちゃん。

 

「そうなんですか、二回あるんですねえ」

と話したりしながら

「ではまた」

と自転車を颯爽とこいだつもりだった。

なのに、ふと可笑しくなってきた。

 

「ちょっとね、出かけてて

 疲れちゃったのよ」も

ありだと思うんだけどな。

 

おばちゃん、正直だよなあ。

 

「検便行ってさ、疲れちゃって」

リフレイン。

 

***

 

夜道。

 

酔っ払いだろうか。

何かさけんでいる。

酔っ払いのおじいさんがさけんでいる。

気になって、窓からのぞく。

仕事帰りの女性が

そんな人がいる夜道を

突き進む。

え、大丈夫なの??

何かなだめているようにも聞こえた。

知り合いなのだろうか。

何かあったら私が通報します!

そう思いながら外を見る。

一言二言話して、どこかに消えた。

あのおじいさんに、慣れているのだろうか。

 

さけひごえは、

その私の大好きなお店の悪口だった。

 

こうゆう人もいるのか。

そうか。

でも、

絶対にそんな人許さないんだから!

 

お店の明かりが窓から見えた。

一生懸命、毎日変わらずに

働いている姿が見えた。

なにか言いがかりをつけられたり

するのだろうか。

そんな人がいるなんて。

あのお店はそれで心いためたり

するのだろうか。

歯をくいしばっているのだろうか。

あ~あ、と思いながら

やり過ごすのだろうか。

 

許さない!

力強く、つぶやく。

町のみんなが

あのお店に行くみんなが

許さないんだから!

 

***

 

「検便」であんなに可笑しかったのにな。

今は、ちっとも可笑しくない。

 

↑と、ここまで書いたのが、何日か前で。

今、SNSを見て、みんなの心を見て、

そうかそうかと思ったり、

思ったりして、

ログアウトして、

自分のブログ見て、

この下書きをまた読む。

 

やっぱりおばちゃん、おもしろいわー。

あの酔っ払いのことなんてどうでも

いいくらい、おばちゃんがおもしろい。

なんというか、心がふくらむ。

それがやさしくふくらむ。

これで、安心して寝れる。

 

おばちゃん、いつもありがとう。

気になるあの子

小さくなった気がする。

メガネをかけたあの男の子。

小さくてやせている。

そんな風におばさんには見える。

 

嬉しそうに話しかけてくれる。

いつもきれいに洗濯された洋服を着ている。

ママが大好きなあの子。

駄菓子屋で、ママのために

買っていたあの子。

お腹ぺこぺこなのに、

ママにも食べてもらいたいって。

 

彼は、一人、

ママが帰ってくるまでゲームをする。

赤ちゃんの頃使っていたと

教えてくれたあのタオルを握りしめて。

ゲームがきっと友だち。

最高の友だち。

ゲームが悪い!なんていえなくて、

ゲームが救いになることもある。

 

猫の額ほどの小さな植え込みにある

バッタたちのお墓に手を合わせてくれた。

私も一緒にひさしぶりに手を合わせた。

「優しいね」って言ったけれど

言って良かったんだろうか。

余計なことをおばさんはちょくちょく言う。

 

「一緒に、遊んでもいいけど」

って息子が言ったけど

「ママに寒いからやめなって言われてる」

だって。

 

何かがあって、

彼は外で遊ぶのが禁止されている。

どんどん小さくなってゆくように見える。

 

今はいいけれど。

彼の心は、これからどうなるんだ。

おばさんは祈る。

彼の心がしなないように。

 

彼のことを気にかけながら、

私はどうなのよ、

子どもたちはどうなのよ、

彼のことを気にかけるなんて

傲慢なんじゃないか、

そんなことを思ったりする。

 

彼は、会うと

嬉しそうに話してくれる。

 

おばさんはいつも思うよ。

ありがとう、って。

できるできない

こうゆう方が「できる人」なんだなあ、と思いながら話しを聞いていた。こうゆう考え方をしていきましょうよ、と話しをしてくれたのだが、それがとても理解しやすく納得いくものだった。お互いにとって、やりやすいやり方について提案されていた。日々勉強されてきて今があるのだろうな、と思う。若い頃からどんな気持ち(これがマインド?)で仕事に取り組んできたのだろう。ノートに書かれたメモもとても美しい。こうゆう方の話しは、ただ聞いているだけで、とてもおもしろいと思う。部下も幸せだろうな、と思った。

 

そんな感想をこっちサイドの同席者にもらす。「あの部下もできる人よ」と同席者が言う。「でも、もう1人のあの人はちょっとね」とも言う。こんな風に言う同席者はとてもできる人で。

できるとかできない、の話しは興味本位で面白い。そうゆう評価をするんだ、と思うし「そうですよね~」と言ったりする。言ったりしながら、いつもいつもおそれている。『で、私ってどうなんでしょう(ため息)』。

 

帰りのクルマで、「私についてはどのように思っているのでしょうか?」と喉五合目まで思った。でも聞かなくても分かるわ、と思った。私は私。二つから言ったら、ザ・できない。でもそれを認めると、しゅんとする。書きながら、しゅんしゅんしてくる。

 

できる、できない理論に当てはまらない私でありたい。ここはできない人だけど、ここはできる人なんだよね、というふうになっていたらいいなあ。

 

やることが、どうしてもたまってしまう。今日はひとつひとつ、やっていこう。

疲れの理由

疲れた。

何やら疲れた。

やっぱり人にたくさん会うと

どうも疲れる。

 

夕食で使ったお皿を洗いたいのに、

そのたった10分もかからないことが

できずに、こうして書いている。

 

それなら寝たらいい。

と分かっているのに、

なんとかやろうとしている。

夫にがっかりされたくなくて。

 

いい疲れは、カラダが動く。

悪い疲れは、動けなくなる。

 

今日は何やら

ごめんね、ごめんね日和で。

口から出てくる言葉が

「ごめんね、ごめんね」だった。

子どもにも言ってて。

私、そんなに謝ることしてないのに。

 

私の中で怒っている。

ごめんね、言うたび

私がダメになる、と。

自尊心が傷つけられている。

 

それでか。

疲れの最大の原因は

私にあり、だったのか。

 

口走る時があるのだ。

なんだかやたらベラベラしゃべる

時があるのだ。

ほんと、少しだまっておきなよ、

って時がある。

極めつけが、ごめんね、ごめんね。

 

だけどさ、

今日という日を頑張ったじゃないか。

 

たくさんの人の中で、

私に話しかけて来た人がいて、

優しい目で質問してきた人がいた。

その目を思い出して何やらすくわれる。

 

はあ。

こんな夜も、ある。

もういいや。寝よう。

 

 

デジタル断食

7歳息子。デジタルにとても弱い。のまれてしまう。小さい頃から(例えば、トラの教材についてくるDVDとか)繰り返し繰り返し繰り返し見るところがある。3つ離れた妹が「なんで、そんなに(何回も)見るの?」と聞くほど。ブルーレイの録画は止まらなくて、夫が撤去した。「もうやめなさい!」と言いながらここまでやってきた。お互いにイライラもやもやしながら。

 

年々ひどくなる。ひどさの爆発がこの7歳だったんだと思う。ご飯の時にテレビを消せなくなった。私が話しかけても、テレビに夢中で目も合わせられないし、全く聞いてない。「え、なに?」ばかりで会話が成立しない。消そうとすると怒り出す。そして、寝つきがとても悪くなった。なんでかなあ、と思っていたけれど、絶対にこれはテレビのせいだなと気づいた。いい加減、これはマズい。私もここにパワーを持って行かれることがとても嫌になってきて。ある日、テレビの電源をブチっと切り、端子をおりゃあ!と抜いた。どんな反逆をされるかと思ったら、私の目の色を見てこわくなったのか、大人しくなる息子。帰ってきた夫に話すと「ぼくがビーキャスカードを持ち歩くことにするよ」と。もう、これでテレビが見れなくなった。

 

イムリーなことに電子メディアの影響に関する講演会があった。「やめられない、キレる、暴れる」この3つが揃ったら、もう依存の始まりなんだそうだ。薬物と同じなんだそう。そして「繰り返し見る」は初期の症状。

ガーン。

息子に全てぴったり当てはまった。先生の話しを一言も聞き漏らさないように、真剣に聴いた。小児科の先生でもある講師。先生のところに訪れた子どもたちの2枚の顔写真が紹介された。始めて来た時と治療後の顔。目がうつろな子どもたちが、ゲームやテレビをやめる、ただそれだけで生き返った。顔に血が通っている。イキイキしている。こんなに変わるものなのか。

やめる、ただそれだけで。

 

まだ一週間もたってないけれど、テレビを止めたら全てがうまく行きだした。息子のイライラする感じは減っている。極めつけが、「ぼくは、これからこの生活にする。この生活でいくよ」と自らほっとした表情で昨晩教えてくれたこと。本当にホッとしていた。本当はやめたかったんだね。ごめん。

 

ご飯の時に目を合わせて食べられるって、なんて幸せなんだろう。料理がここのところ好きな息子は、テレビをひたすら見ていた時間に包丁を握りだした。センスがある。親バカだけど上手だと思う。「お母さん、教えてあげるよ」なんて言う。ムッとするけど。

 

自分の時間が欲しくて、つい教育テレビつけたり、YouTube見てもいいよ、なんてした時もあったけれど(YouTube、あれは本当にひどすぎだ。止まらなくて、もうアクセスできない設定にした)代償がとんでもない。本当にとんでもない。私たち大人もスマホばかり見ている場合ではない。スマホを見ている間に大事なことをたくさん見落としているよ。

※テレビなどは1日1時間までなら大丈夫なよう。なぜかのデータも紹介してくれた。

 

先生にお礼の手紙を書こう。

直接話しを聴くことは、とても意味がある。

本当に私たち親子を救ってくれた。

 

心から感謝いたします。


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