おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

結論

この前、少し離れた図書館まで用事があって行った。自転車で片道40分くらい。帰りふと思う。私には何かを新たにやる時間は今はないのかもしれない、と。どう捻出しようかと考えていたけれど、やはりNPOの活動で手一杯。延長保育にする、とかそうゆう体制と覚悟を決めないと余裕が生まれない(そうしたいと私は今思っていない)。NPOの活動は苦痛ではなくて、けっこう私のやりたいことと重なっている。だから、今はこれを一生懸命やらせてもらおう、という結論が出た。本当に「結論」だと思った。体を動かすことはやっぱりいいなあ、と思う。お告げ降臨。

 

誰かのものが、とても良かったこととか伝えたいとは思っていて。それは手紙にしたためて伝えようと思った。それならできるな、と。手紙ならこの生活時間の中で書ける。無理は後々来る。だから無理はできるだけしないことにする。脳疲労を起こすそうだ。そうするといいものが生まれないもの。言葉に責任を持たなければ。

 

***

「歩きスマホ」のことを、英語圏では「スマホゾンビ」というらしい。※らしい。すごい面白いなあと思った。

 

少し離れた図書館は近くの図書館よりも大きい。本が好きだ。


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ライン交換

息子に放課後遊ぶ友だちができた。度々遊びに行かせてもらっている。どこに行ってるのか気になる時もあって、その友だちのお母さんとLINEを交換したいと思っていた。友だちのお母さんとは1年生の時も同じクラスだったから、顔馴染みではあったし家もお互い知っている。だけど、やっぱり連絡先を知っておきたいんだよなあ。とずっと思っていて。

____________________________________

以下の「 」

私→☆ 

友だちの、お母さん→★

____________________________________

 

☆「いつもありがとうございます。

 あのLINE教えてもらってもいいですか」

★「ああ、うーん」苦笑い。

苦笑い!?その意味がよく分からなくて、夫に愚痴をこぼす。感じの悪い人ではないから、心やられることは全くないのだけど。『まあ、いっか』と思っていたら、ばったり道で会う。友だちのお母さんがこう言ってくれた。

★「わたし、携帯、不携帯って

 よく言われるんですよ。

 あ、今も持ち歩いてなくて」

☆「大丈夫ですよ!

 お互い家も知ってますし、近いですから」

 

学校でばったり会う。

★「あ、ライン!あ、また今持ってない」

私の顔=LINEなんだなあ。

☆「大丈夫ですよ。また会った時で」

★「あ、帰り、うちの前で交換しましょう」

☆「わかりました!」

 

一緒に自転車で向かうかと思ったら、ぱーっと先に行ってしまった。ちょっと追いかけておうちの前で自転車をとめる。庭にはきれいなお花がたくさん咲いていた。お花が好きなんだなあ。

 

友だちのお母さんが苦笑いしながら、

口に手をおさえて出てきた。

★「すいません。充電がきれてて。

 もーごめんなさい!ほんとに」

思わず声を出して笑ってしまった。

なんて素敵なんでしょう!!

☆「素敵!ケータイにとらわれない

 なんて本当に素敵です」

★「いやあ、あのお。あ、メール!

 メール交換しときましょう」

私たちは、手書きのメモを交換した。つい何年か前は、こんな風にやっていたなあ、と思い出す。

★「お花好きですか?

 これ良かったら持って行ってください」

いろいろ名前を教えてくれたけど、忘れた。なんとかセージだった気がする。お花の話しをしばらくした。とても楽しかった。メールも届いて、LINEのQRコードも添付されていた(これ、どうやってやるんだろう。私やり方知らないな)。それで無事にLINEも開通した。

 

これがそのお花(テーブルは旦那が独身の頃から使っているコタツのテーブル。もう十年以上使用品。テレビ台はニトリ。掃除機かけたのは...、明日かけよう。誰もこんなこと聞いちゃいない)。

 

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スマホに一切とらわれずに、時間を過ごしている人もいるんだなあ、ってこと。私からするとすごくうらやましい。絶対あのお母さんはSNSとかやらないんだろうな。誰が「いいね」してくれたんだろう、とかどうでもいいんだろうな(もう、私も全然投稿しなくなってしまったけれど)。そうゆうスマホの存在がどうでもいい人がいることがなんとも面白くて、素敵なお母さんに出会えたなあと思った。本当におもしろかった。また、ケータイのこととかあのお母さんみたいにすっかり忘れて、花トークしよう。

父と母

父としゃべる。

10分はしゃべった。

いつも二言、三言で終わる。

久しぶりだ。こんなにしゃべるのは。

元気そうで良かった。

父は時々涙ぐむときがある。

それを見ると、ああ、とたまらなくなる。

父と同じような背格好の人や

白髪頭の人を見ると、

鼻がつんとしてちょっと泣きたくなる。

 

父と母がしゃべっていた。

 

しゃべっていた。

しゃべるんだなあ。

へえ。

 

母は、私と父がしゃべるのが

本当に嫌そうだった。

そこは相変わらず変わらない。

 

気を使いすり減らしたあの頃。

あの頃の私がやっぱり

私の真ん中にいる。

びくびくしている自分がいる。

あの野暮ったい十代の女の子が

どうしていいか分からずに、

かなしい目をしている。

つらかったね。

 

母は、こうして欲しい、と

伝えてきた。はっきり言ってくれて

良かったと思った。

別に大した話しではないんだけど、

なにか言われることを恐れていたから、

かなり身構えていて。

親というのは、一番気を使って

接しなければいけない人だった。

再認識した。

許される、と勘違いしていることが

お互いに、実は多いのかもしれない。

 

「今日は来てくれてありがとう」

すっきりしたのか、

母の顔が柔らかくなって

それを見たら、

私は泣きそうになって、

結局涙が出た。

母にはかなわない。

 

「ほら、笑って」

母はドア越しに笑った。

私はまるで小学生の女の子。

 

しばらく泣きながら歩いた。

麦わら帽子なんて

もう終わりなんだろうけど、

目深にかぶって駅まで歩く。

なんで泣いてるのか分からない。

 

私はやっぱりあの父とあの母が

好きだなあ。あの変わった親が

好きなんだと思う。

 

昨日の空虚さを忘れた日だった。

テントウムシ

押し寄せる。

 

空虚さが。

 

これを見つめて味わうのは、やはり難しい。

 

何か言葉がほしいと思う。

 

スマホを眺める。

 

しゃがみこみたくなる。

 

一瞬、誰かの言葉に救われた気になる。

 

そしてまた押し寄せる。

 

スマホを眺める。

 

やっぱりここには、他者にはない。

 

そんな安直なものじゃない。

 

自分の中に、この空虚さを埋める力は

 

きっとあって。

 

消したテレビの画面に私の顔がうつる。

 

きれいになりたいなあ。

 

誰かに見せるためではなく、

 

自分のためにきれいになりたい。

 

この前新しいブラウス買ったら

 

すごく元気が出たしな。

 

三日前に息子がつかまえたテントウムシ

 

虫かごで元気いっぱいだった。

 

プラスチックのケースを登り、

 

すべり落ちる音がする。何度も何度も。

 

何の音かと思ったら、きみだったのかい。

 

それで、さっき外に逃がして。

 

ぴゅーと飛んでいった。

 

「あなた元気出しなさいよ」

 

って言ったか言わないかは

 

分からないけれど。

 

こうゆう人もいるのねえ。

 

ふーん、って感じで。

 

スマホの中には答えはなくて、

 

こうゆうことの方が、

 

さてと、と思えるな。

 

***

 

本日、超低空飛行です。

 

これで、今日はおしまい。

 

スマホはおしまい。

 

今日の営業は終了です。

 

カレーが食べたい。

きせきのカマキリ

息子がカマキリと一緒に帰ってきた。羽だけ茶色くて他は緑色のカマキリ。ものすごい威嚇しまくりのカマキリ。羽をガーッと広げて怒っている。カマキリは息子の頭に乗ったりした。息子は必死にデジカメで自撮りする。私も一眼レフで撮る。撮っていたら、突然飛ぶからものすっごくびっくりして、カメラをテーブルにぶつけそうになった。ぶつけなくて本当に良かった。

 

カマキリをカゴに入れて、友だちと約束した集合場所に興奮して向かう息子。その日の遊びはエサ集めだったそうだ。テントウムシをお尻から食べたそうだし、クビキリギリス(という名前があるのか?)をムシャムシャ食べたそうだ。カゴの底に薄い羽2枚だけが残っているから、ああこれだな、って思った。

 

夜になって、コピー用紙6枚を使ってひたすらにカマキリとの出会い、私の反応(お母さんは「ええっ」と言いました)、どうやってエサを食べたか、一心不乱に書いていた。こんなに書いたことないだろうな。やっぱりカマキリ先生なんだよ。これが自主的な最高な学びなんだよ、って惚れ惚れした。書きたいんだものね。その夜、枕もとにカマキリを置いて息子は寝た。

 

翌日になると、もう弱っていた。きっとみんなが触ったからだろう。足の先の細いかぎ爪みたいなのも、取れているし。あわててエサを取りにいったけれど、カマキリは食べる力が残っていなかった。トンボの羽をガシッとつかまえることはできるのだけど、そこからもう食べることはできなかった。体がもうぐったりしていた。

 

木に離した。

 

その日の夜、息子は愛用の毛布にくるまり、おいおい泣いた。声をあげて泣いた。30分くらい泣いた。ベランダを何度も見て、もしかしたら来てるかもと言って。「きせきのカマキリ」これが息子の作文のタイトル。

 

本当にきせきのカマキリだったね。

お母さんもあのカマキリのこと忘れないよ。

赤い顔

顔を赤らめて、私に話してくれた。

多分、興奮して。怒りを私にぶつけないようにして。いらいらはやっぱりこぼれ落ちる。いらいらって、伝わる。私はそれを両手ですくう。ひとつひとつをひろって、自分のポケットに入れていく。本当はいらないものも、まじまじと見つめて「なるほどなあ」と言いながら入れてしまう。

 

時がたつにつれて、どんな気持ちで伝えてくれたんだろう、って思って。ふっと思い出す。あの赤くなった顔を。それと同時に「見返してやりたい」って小さな炎みたいなのが燃え始めて。線香花火のまだ小さな赤い丸なんだけど、「この野郎」って小さく怒ってる。ばかにするんじゃないよ、と。小さいその赤い丸が。

 

「見返してやる」と思っている時は、うまくいかない。入社したての2、3年で味わった。「見返してやる」エネルギーはあんまりいい働きをしないんだ。見返すというよりも、悔しいけど、あんた自分を振り返りなさいよ、と。本当はそうなんだ。それをあの赤い顔が教えてくれた。

 

多分、どこかで確実に恥ずかしながらこう思っている。これは私じゃない、と。例えばあの映画のタイトルみたいに。「俺はまだ本気出してないだけ」みたいな。この映画、あんまり面白いと言わない夫が随分前に「面白かった」と言っていたな。

 

悔しいから、見るよ。

いらっしゃいませ

リサイクルショップというのだろうか。「すみませーん」を三回私は言った。頭にタオルをまいた赤いつなぎのおじさんは、奥に行ったきりなかなか出てこない。店内をぐるりと見回す。はきそうなほど、誰かのいらなくなったものたちが、これでもかこれでもかと壁に積まれている。広い店内にぎゅうぎゅうに並んでいるものたち。表に気になるものがあって(ガチャガチャがあった)、いくらなのかを聞く。「それは売り物じゃないんです」「違うんです」発した言葉はそれだけ。以上。本気で欲しけりゃ正規で買えばいいんだった。


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小さな駅にある小さな本屋に入った。控えめな声で男の店員さんが「いらっしゃいませ」と言う。なぜか丁寧さを感じた。いろいろなものがちょうど良いからだと思う。音量とか言うタイミングとか。店員さんは若い人かと思ったら、お腹の平らなおじさんだった。他のお客さんが来たときも同じように必ず「いらっしゃいませ」と言う。当たり前と言えば当たり前なんだけど、「いらっしゃいませ」を最近言わない人もいる。そんな店が多い気がする。言われないとなんだかさみしいもんだな、とけっこう実は思っていて。だから嬉しいなと思った。

おじいさんがレジでこの控えめな店員さんに話したいことをひたすら話していた。この発売日はいついつだと思うんだ!と。店員さんは静かに相づちを打ち、ひたすら聞いている。おじいさんはすっきりして「じゃ」と言って出て行った。ここの常連さんなんだろう。

 

樹木希林さんの本が欲しいと思っていた。本屋で何度も手に取ってきた。3回目のあの店員さんの「いらっしゃいませ」を聞いてこの店で買おう、と思った。ついに買う店が決まった。「カバーかけますか」と店員さん。謎のオジサンがコーヒーを飲みながら本を読んでいるイラストが書いてあるカバーをかけてくれた。いい店で買えて良かったと思う。あの店員さんはきっと、明日も真面目にお客さんに「いらっしゃいませ」を言い続けるんだろうな。「いらっしゃいませ」ってなんて大事な言葉なんだろう。私も「いらっしゃいませ」をたったひとことの挨拶を心をこめて言いたいものだ!