おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

「生」はじまりとおわり

なくなってしまうことがいやだ。

たとえば、
あのお店は、あの病院は、

10年後やっているかな?
ー 難しいんじゃない。
5年後だったらやってるかな?
ー うーん、微妙だね。
3年後だったらやってるよね?
ー 大丈夫でしょ。

いちいち、確認したくなる。
夫に時々、聞いてしまう。
大丈夫という答えを聞きたくて。

ここで何年になるんですか?
この前、お花屋さんと
せとものやさんに聞いた。
「50年。51年だね」

50年前、この地は、この商店街は、
どんな風景だったのだろう。

せとものやのおじさんは、
測ろうとしていた血圧計を外しながら、
私に教えてくれた。

ここが田んぼだらけで、雨が降ると、
下駄が泥だらけになって、
それを駅前の(どこかに)預けて、
電車にみんな乗るということを。

あと何年やろう、とか考えるのだろうか。

おわりがきてしまう。
時間がない、そんなことばかり
この頃、感じてしまう。

でも、そこからの想いで、
仮に取材したら、どう思うだろう。
どう感じてしまうだろう。

さみしすぎやしないか。

そうじゃないはずで。
はじまりがあっておわりはあるのだけど、
おわり、だけではないはずで。
出会いと別れのような。
希望がそこにあると信じたくて。

それで、先の不安にとらわれる
のではなくて、やっぱり今が大事で。

私は今、まだまだ生きていられる、
と思っているけれど、
それだって、ほんとは誰も分からない。

人は生まれたら、いつかは死ぬ。

生きる、ということを
考えることにつながってきた。

考えて考えて、芯を見つけたい。

この町が好きな理由を。
私が「生きる」ということを。

まだまだ浅い。
けれど、
考えるって、なんて面白いんだろ!