おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

あまい記憶

銅メダルがもらえるはずだった。

本当はもらえた。

くやしーーーっ!!!

 

ガバッと起きる。

そんなことを中学生まで繰り返しました。

 

***

 

子どもの頃、走るのだけ早かった。

 

中学生の頃バスケをしていたら、体育の先生にこう言われた。「あなた、バスケしたことないでしょ。はじめて?」と。いやいや、小学校でしましたよ、と思ったけれどなぜか「はい」と言った。「そうだと思った」と先生。せんせー、どういう意味?私のドリブルそんなにおかしかったですか?

 

小6の時、男女混合でキックベースをやった。思いっきり、蹴った。三塁に向かって走ったのは私です。「おい、逆だよ、逆っ!」男子の苛立つ声が忘れられない。ほんと、ゴメンね、サトウくん。

 

中1の時、あれもキックベースだっただろうか、走った。走って、前を走る女の子を追い抜いてしまった。これはありえないらしい。確かに、どう考えてもありえないね。「おまえ、なにやってんだよ!はあっ!とりあえず、ベース踏んでこい!」そりゃそうだ。私は何を見ているのでしょう。ゴメンね、サカモトくん。

 

という具合に、誰かと一緒にやる競技は下手くそです。自分のことしか考えてないのでしょう。だから、走ることだけは得意でした。短距離も長距離も。

 

***

 

10歳の頃、マラソン大会に出た。それは県中の子がまあまあ集まる大会だったと思う(市内かな)。毎年出ていて、いつもメダルをもらえる人たちがうらやましかった。私は、10位以内に入るのがやっとだった。ゴールしたら前の順位の子に「足、はやいね」とひとこと挨拶していくのを自分のルールにしていた。それは子どもなりに、一緒に走った仲間を讃える行為であった。

 

10歳の私は、どうしてもメダルが欲しかった。練習もしたけれど、猛烈に走った。後半は、ほぼ気合いだけで、ゴールした。念願の三位だった。やったー!銅メダルがもらえる。あの表彰台に立てる。そう思って、ゴールのラインを超えた時に、私は座りこんでしまった。ああ、疲れた、と。前方には順位カードを配るスタッフの方。さあ、行こうと思ったら、四位の子が私を追い抜いて行った。マズイ、これはマズイと慌てて立ち上がった。だけど、渡されたカードは「4」だった。恒例の挨拶はとてもする気になれなかった。でも、私が三位ともなぜか言えなかった。タイムで見れば、私は三位であることは確かだったろうに。銅メダルは私の首にはかからなかった。

なぜ、言えなかったのかい、10歳の自分よ。

 

小5の時、足の早い子に、一緒にゴールしようね、と言われた。もっと早く走れたけれど、それを忠実に守った。小6の時、その子は私を追い抜いてゴールしていった。

 

中3の時の体育祭。たしか1000メートル走だっただろうか。私は勢いよく飛び出した。観客席にいる誰かのお母さんの声が聞こえた。「ほら、○ちゃん!もう一周差になっちゃうよ」。だから、私はその子を追い抜くのをやめた。ゴールがもう少し、となった時、一年生と二年生に追い抜かれて、私は三位となった。

 

ここまで、読んでくれたアナタ、お付き合い、ありがとうございます。おつかれさまでした。...つまりですね、あまいのだ。あますぎる。自分の信念は貫かなければならない。そうしないと、私はウジウジすることになる。誰がなんと言おうと、一生懸命、自分を信じて突っ走らなければ。

 

やり抜かないとね。中途半端な思いは、中途半端な結果を招くと、あの頃の自分が教えてくれている。

 

もう、あますぎる記憶は、もういらない。

 

***


f:id:morina35:20180514195919j:image

6歳の息子が描いたパンダの絵。

自分では1000点とのこと。いい絵だと思う。