おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

大事なものはなにか

この前、登校班に間に合わず息子と小学校に歩いて行った。宿題を前もってやらないのに、やっていきたいと泣き叫ぶ。お決まりの言葉。「ぼくなんかしね」。それ、かなしいって。やめてよー。算数プリント50問くらいを文句垂れながらやっていった。全丸。よくやったなあ。

 

朝、歩くのはとても気持ち良かった。青空だよ。おなじみの春の雑草の花がたくさん咲いてる。いらいらも全くしなかった。これが癖になったらイヤだなあ、と思うけれど息子の心が平安ならいいなと私は思う。かなしみの気持ちいっぱいで学校に行くのはつらいものね。

 

昔、息子と一緒に遊んでくれたお兄ちゃんの後ろ姿が見えた。彼はとても感じがいい。その雰囲気が後ろ姿から感じられた。二年前に会った時、駅で声をかけてくれたことを思い出す。おそらく中学三年生。息子も中学生になるのは、そう遠くない。

 

泣き叫ぶ声がした。何だろう、と思ったら多分学校に行きたくない子が泣き叫んでいた。お母さんの困ってる顔が見えた。胸がぎゅっといたむ。

昨日、ちょっとテレビを見ていてある方が「学校って牢屋みたいだよね」と言っているのを聞いて、分かるなあと私は思ってしまった。六時間じっと聞き続けたり支持に従ったり(先生は工夫を凝らしていたりするだろうから一概に言えないけれど)集団行動するのが私はとても疲れた。「いい子」だから文句言わないで「素直に」やっていたけれど。

 

この前、マックで娘と食べていたら隣に座っていたお母さんが子どもに聞いていた。「ねー、いつになったら学校行くの」「真面目にどう考えてるの」。元気のない子どもの顔が見えた。そうか。そうなのか。

 

子どもの心が平安であるために、私はどうしたらいいのだろうか。何が大事なんだろうか。大事なものをつかみたい。

 

近所のオジサンに娘が手をふった。オジサンの笑顔はいつだって良くて、それがなんだか救いだった(オジサンといっても私とたいして年は変わらないんだった)。毎朝オジサンに挨拶して娘と春から幼稚園に行こう。笑顔で挨拶して行こう!それだけは決まった。

 

子どもの中にある力を私は信じよう。

自分の中にある力を信じよう。

ぜったいにあるんだ。