おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

「カメの小島」という石風の隠れ家に、ずっとひっこんでいたザリガニ。このところまるでヤドカリのようにハサミと顔だけ出すようになった(いつもより水が多かったかな)。今日なんて、水槽のアクリル板をハサミでガジガジ叩いてきた。どうしたの?エサかい?と思いパラパラ入れると、ものすごい瞬発力で小島内にひっこんだ。そして、また戻って、ヤドカリ風ザリガニとなる。ブルーで君、かっこいいね!と思う。

 

カナヘビは気持ち良さそうに日光浴している。我が家の庭ともいえない植え込みに生えている木の枝を入れてあげる。枝に登る。ユスリカがよく取れる季節になった。

指でユスリカの羽とか足を持って、口元に持って行く。わたしの指にびっくりしてケース内を走り回ったりするけれど、視界にユスリカが入ると首をかしげる。噛みつくのにちょうどよい角度に首をかしげ、ぱくっと食べる。ほぼ丸飲み。あむあむあむ。ペロペロペロ。こんな具合。

 

彼らを見つめることは、わたしにとってものすごい気分転換になる。ありがたい、と思う。かわいい、と思う。かわいいと思わなくなったらこわいなあ、とも思う。でもそんなことになるまい。なるもんか。ザリガニとカナヘビは小さくて、わたしが用意した環境で、生きている。生き続けていることが奇跡だ。それこそ、日々覚悟している。

 

この前、ふと思った。

 

あー、この生き物たちには「声」というものがないのか、と。カナヘビなんてしゃべりそうだけれど、シューとも言わない。「無音」。鳴かないんだなあ。声がないのか、と。仲間とは声を使わずにコミュニケーションするということ?ああ、ごめんよ、仲間もこちらの都合で君たちにはいないわけなんだけど。

 

なんてことを、

眺めながら

しみじみ、

思うのでした。

 

怒り

息子が髪を切りたい切りたい、と言う。

それで子どもたちの髪を切りに行く。

 

 

ここは本当に!

埃というものがない(誇りはある)。

埃がありそうな場所は

すべて拭きとられている。

見つめながら、わたしは、

いやな小姑みたいだと自分で思う

(でも、そんな小姑本当にいるのかな)。

 

窓ガラスに汚れなんて一切なくて。

いつも美しい。

親子でやっている美容(理容)室

だというのに、

親子は無駄な話しは一切しない。

緊張感がありすぎる訳でもない。

絶妙だと思う。

ピシッとアイロンのかかったシャツを着た

お母さまはいつもほがらかでにこやか。

時々、わたしは顔剃りをしてもらう。

 

私よりも年上だと聞いたが、

若く見える息子さんはさわやかな服を

いつも着ている。

相手が誰であろうと、

いつも丁寧なことばで話す。

つまり子どもに対しても敬語で話す。

「じっとしていてくれたから

 助かりました」

今日、息子にそう言っていた。

 

**

 

きっともう何十回どころではなく、

挨拶のように、

あの話題を取り上げているだろうから、

その話はやめておいた。

挨拶のようでいて、

全然挨拶でもない、と思う。

あの交わした後の、もやっとは。

例のCから始まる...。

 

挨拶っていうのは

なんていいことばなんだろか。

さわやかだ。

希望があるし、優しいし、

時には強くもあるし。

 

寒いですね

暑いですねね

風が強いですね

似ているようだけど、

天気の会話にも毒はないな。

 

***

 

些細なことでイライラして。

怒りがふつふつしていて。

それをお店の方にちょっとだけ、

聞いてもらおうかと思ったけれど

やめておいた。

 

目に入ってきたのは

レジ横カウンターに置いてある

暮しの手帖

 

春がずらりと並ぶ。

ちゃんと季節に合わせて置いてある。

 

一番古いのは2011年で、

それをめくった。

 

こう書いてあった。

 

「一日の怒りを忍んで、百日の憂いを免れるといいます。いらいらしたり、怒ることのない広い心持ちは、結果として自分を守ってくれるものです」

 

暮しの手帖・2011 ・51・春

暮らしのヒント集 今日はなにを より

 

そうだった。

この前「怒りは何も生まないね」と仲間と

話したばかりだった。

 

ぺちん!←とおでこを叩く。

 

 

覚悟

「これ、公開しちゃえば?」

と言われたことがある(おそらく、そう伝えてくれた彼女は、このブログの1記事しか読んでいないはず。公開って今も公開しているけれど、匿名ではなくという意味で)。

彼女が言いたかったのは〈自分が発信する、ということは大事〉だと言いたかったのだと思う。彼女とはもう連絡も取っていないし、...正直コワいからあんまり関わりたくない、とすら思う。だけど、彼女のことを思い出すたび、心がちくっとする。ウッと、呼吸が浅くなるくらい。それは、やっぱり。彼女には、わたしには無い「強い覚悟」が備わっていたからだ。彼女は、こう生きたい!こう生きる!という覚悟を決めていた。そのことを、思い出すたび、突きつけられる。

 

コワいけれど、かっこいいと思う。

やっぱり彼女はかっこいいんだよなあ。

あの時、彼女は誰よりも真剣だったし

頑張っていた。

頑張っている、なんて言ったら

「は?」って顔されるだろうな。

ムッとした表情で、

「好きだからやっているだけ」と

言うだろう。

 

最近「覚悟」という言葉をよく聞く。わたしの尊敬する女性はよく「覚悟」と言う。「それは、覚悟してやらないと」みたいに言う。あの方は覚悟してやっているわけだ。そうじゃないと、つとまらない役目。

 

ある女性は「声」を聞けば分かる、と話されていた。その人と仕事を一緒にするかどうか決めるのはその人の「声」なんだって。びっくりした。その意味は、おそらく「声」に「覚悟」が備わっているかどうかが分かるというわけだと思う。その女性にとって、「声」は嘘をつかないのだろうな。見抜けるんだ。

 

何を言いたかったんだっけ。

わたしにとっての覚悟を考えたいわけだ。

 

そして、

このブログの編集長は

わたしだ!ともこの頃よく思う。

は?かな。

 

この記事の終着点なし。

 

覚悟旅はじまる!

なんて言わせてもらいたい。

ほんもの

きちんと生活していそうな人にあこがれる。

そうあったらいいのに、と

ちょくちょく思う。

(多分、そこへのあこがれが

 人よりも強いのだろう)

 

そのように見える人は

わたしの頭の中で、ますます すごくて。

見下されている感じすら、する。勝手に。

冷たくも感じる。

もう、その人は、その人じゃない。

わたしの頭の中で作り上げられた

想像上の人物になっている。

 

だけど、その想像上の人は

わたしを苦しめる。

いつの間にか、とても苦しい。

苦しいというのは、自分を責める苦しさ。

なぜあんなふうになれないのか、と。

あんなふうに時間が使えないのか、と。

(なんだ?あんなふうって?)

 

家にいる時間が長い。

ならばあれもこれもできるんじゃないか?

と思う。

何か「生産性」のあることをしなければ

ならないんじゃないか、と。

誰かに、どうだ!わたしはこの時間を

こう使ったぜ!と

アピールすらできるくらいに。

(これ一番意味ないな。

 この心意気が意味ないな)

 

そんな時に読んだ師匠のブログ。

(勝手に師匠と読んでいる方)

 

これはたくさんの人に読んでほしい、と

思ったから半年以上何も書いてない

SNSでシェアしようかと思った。

けど、やっぱりもうSNSはヤル気ない。

コメントついて、返信に

んー、んー、ってなるのがわたしなのだ。

 

純粋に感謝をハガキにだーっと書いた。


f:id:morina35:20200331135022j:image

 

師匠はいつも大事なところで、

そうか!と気づかせてくれる。

ほんもの。

 

 

ブログ書くのだって、楽しいわい!

と師匠のブログを読んであらためて気づく。

 

許可頂いたら、

追記でリンク貼らせてもらおうと思う。

 

カラス①

おはげ、という名のカラスがいる。

かれこれ、おはげとは五年近くの付き合いになる。よく行く公園の近辺に住んでいて、頭にずっと小さな丸い毛の生えていない場所がある。名前の由来はそこからきているわけで。先輩があのカラスが「おはげだよ」と教えてくれた。その時、名前があるなんてステキだなあ、と思った。

 

カラスは大嫌いだった。襲ってきそうだし、なんだか怖いし、フンはまるで狙ったかのように落としてくるし!

 

それが変わったのはいつからだろうか。カラスは賢い、というテレビを見たからか?ハリーポッターで確かカラスも出てきたからか?何かの影響で、カラスに対する嫌な気持ちはとても薄らいだ。今は嫌いじゃない。

 

この前、超マイペースなカラスを見た。車に何か固い食べ物(一体なんだったんだろう)をひいてもらいたくて、道路に置きに来る。それがマイペース過ぎて、運転のじゃまになっている。ププっとクラクションを鳴らしても動じない。ちょうどいい置き場所を懸命に探したいた模様。危ないけれど、へえ、と思った。

 

さて、おはげは今のところ、絶対に人を襲わない。襲っているところを見たことがない(おはげに限らず)。狙うのは食べ物だけ。この公園に来る人間は大丈夫だと信じている気がする。わたしたちは「信頼」関係が多分成立している。と私は思う。でも野生!それは肝に銘じておこう。

 

おはげはきっと何度目かの子育てを始めるのだと思う。今日は木に巣が作ってあって(仲間が教えてくれた)、二羽のおはげ夫婦であろうカラスが見張りをしていた。

去年は電柱に作ってあった。公園から眺めていたかったけれど、被害があるかもしれないから、ということで電力会社に依頼し撤去することになった。その時に知ったのだけど、雛がいたら確か撤去はできないそうだ。そうゆうルールなんだって。命だものね。

 

これから、きっと誕生するのだろう。おはげの子どもたちが。そう言えば、おはげじゃないけれど、別な公園の近くで雛が飛ぶ練習をしているのを見た。雛だとも気づかなかったけれど、通りすがりのおじいさんが「これは子どもだね。毛がふさふさしているのもの」「なかなか飛ばないねえ」と言って気づいた。娘とその光景をしばらく見た。「親が見てるね」とおじいさん。おじいさんはとてもよく見ている。

親であろうカラスは電柱からずっと見ていた。気づかなかった。親子を眺める。親はずっと見ている。「絶対にできるよ。大丈夫」と強く信じて見ていたのかもしれない。わたしたち人間のことも、害はないと判断したのかな。

 

ああ、雨がふってきた。音がやさしい、と思う。またカラスのことを書こうと思う。だからカラス①。

 

ごめんね

久しぶりに、夫が小さくぶちっと怒った。

きっかけは私のいやみな一言で。

それを今言わなくたっていいのに、

言ってしまった。

一生懸命やってくれていたのになあ。

 

私はごめんね、とは言えなくて、

小さくぷりぷり怒り出した。

そしたら、娘が洗面所で私のおしりを

ふざけてドーンと押してきた。

まるで膝カックンみたいな衝撃。

大人げなく、むかっとする。

 

娘のお尻をばちんと叩いた。

娘はびっくりして、

とても悲しそうな顔をした。

 

「さっきは、ごめんね」

 

幼稚園で覚えたであろう

「ごめんね」を娘はよく伝えてくる。

母の機嫌が一刻も早く良くなるように。

伝えてくる。

 

あー、こんな気分久しぶりだ。

 

早く二階に行きなさい!と

こどもたちに強く言う。

 

きっと娘の寝顔を見ながら、

また思うんだ。

 

ごめんは、お母さんだ。

 

努力事項

分かるように伝える努力が私には必要だ。

 

「とにかくあそべないから」

 

...しつこいよそさまの子に

インターホン越しに言ったのはこの私。

これ、誰かが聞いてたら、やだなあ。

 

「もう、めんどくさいから。

 お父さんいるから」

 

泣く娘に言い放ったのはこの私。

 

あの人はいつだって、

すっきりとした伝え方をしていた。

納得する、ディベートならば

完敗です、という話し方をする。

私の苦手な人。

滑舌よく、大きな声で。

私はその反対で、しょっぱなから

負けている。

でも勝ちとか負けとか

そうゆう問題でもないよな。

 

このごちゃごちゃを言葉にしていくのが

私は苦手で、たいてい言い負かされる。

あー言えば良かった、と後で思うのが常。

 

***

 

よささまの子はママに言うだろう。

ママそっくりのしゃべり方を

するようになった。

逃げ道を残さず、まるで責め立てる

話し方がそっくりだ。

 

娘は「あ、ごめんね」とよく言う。

その言い方がまるで私。

 

 

子どもだけど、

 

同じひと!

 

はらたつなあ、と正直思う。

何、その言い方!と。

...よそさまの子でも思うのだ。

いろんな家庭環境が生み出す。

我が家も生み出しているわけで。

 

だけど、

もう少し、もう少し

努力しよう。

分かるように伝えよう、

とまず心で強く念じよう!

 

おばさん、反省中。