morina39の日記

こころ動いたこと、について

夜更かし

ザワザワ ザワザワして、

なぜかバカでバカで仕方なく思えて、

過去のどうでもよいことまで思い出して、

寝ていられんわい!

と起き上がる。

 

この前録画したテレビを見る。

女性ホルモンについて特集されていた番組。

女医さんの笑顔が印象的だった。

仏様のような笑顔。

「不安がるひとは、

 過去をおもい、

 未来を不安だらけにおもう。

 いまを感じ取っていない」

というようなことを言われていた。

「思考のクセに気づこう」と。

気づこ。

 

女性ホルモンの波の図を見る。

これのせいなのか、と知ることは

とても意味がある。

 

産後の涙もろさも思い出す。

産後の女性ホルモンの折れ線が

すさまじかった。

天から地へ、のような折れ線で。

だからわたしはあの時泣いていたのか、

と改めて思い出す。

あの時、産院でそれは産後だから

仕方ないものなのよ、と言われたかった。

スタッフは泣くわたしにただ驚いていた。

無知とはこわいものだ。

それを学ばせてもらった、ということだ。

わたしも無知だった。

 

赤ちゃんを産んだばかりのひとへの

声かけはママを気遣うものも

含みたいと改めておもう。

経験していたのに、忘れていた。

 

そして、Huluでドラマをちら見。

思っていたよりそそられず、

途中でやめ。

 

続いて『言の葉の庭』という

アニメ映画を見る。

これはそそられた。

昼間からビールを飲んでいる女性が

出てくる。なんだか胸にささる。

高校生の男の子が出てくる。

美しかった。

良い時間をもらった。

 

その女性が長らく会っていない

友だちに似ていて。

元気にしてるかな?とSNSをのぞいた。

わたしと同じく

全く更新していなかった。

そそくさとログアウト。

 

そして、ヘグリーンダルさんの

過去のYouTubeを見る。

好みについて、話されていて。

自分の好きを大事にしたくなる。

で、コーヒーを飲みたくなった。

おいしそうなコーヒーを見たから。

本当はビールもすてきだ、とおもう。

ヘグリーンダルさんはビールを

おいしそうに飲むから。

本当においしそう。

でも、90日チャレンジ中だからな。

しかし、90日チャレンジの

貫く意志はなんなんだろう。...

 

何事も続いた試しがない、

と近くにいるひとにこの前言われて、

うなだれる。

そんなことない!とは言ったが。

...ブログは続いているもの!

と心のなかで思う。

 

コーヒーをおいしく飲んで、

また布団にもぐろう。

ちょっと↑おかしいのだけど。

 

自分のやる行動を肯定的に捉えることが

大切だよな。

 

おいしくコーヒーを飲もう。

 

そんなこんなで朝が来そうだ。

 

 

エリーゼを食べながら

早起きが習慣になった、というある方の記事を読んだ。日頃から刺激や気づきを受けている方なので、さっそく感化される。目覚ましを早くに設定したい。が、わがやは全員一緒に寝ているから5時半に設定なんてしたら間違いなくクレームがくる。だから、明日の朝、わたしはこの時間に起きる!と念じて寝る。ということを最近やっていて。意外とうまくいく。昨晩念じすぎて、うっすらうっすら起きている状態になってしまった。よく眠れないまま朝が来てしまった。ここ1、2年(?もっとか?)気持ちよく寝られていない。快眠を味わいたい。

 

で!早起きすると確かに良い。時間が生まれる。午前中は「金」の時間(午後は「銀」で夜は「鉛」なんだって)だとNHKの朝イチに出ていたスーパー主婦が言っていたことを思い出す。本当にそう思う。

 

鏡を見て、眉毛の下のムダ毛を抜いた。雑草を抜いているみたいだなあ、と自分で思った。というくらい疎い。本当にみなさん、とてもきれいにされていて、その美意識がすばらしい。前に見た大学生の男の子の方がわたしの眉毛よりよっぽど美しかったし。みなさん夜な夜な鏡見ながら毛抜きで抜いたりしてるのかな、と想像するとたのしい気持ちになった。

 

***

 

お菓子の中で、エリーゼが好きだ。ホワイトチョコのエリーゼ。抹茶味を買ったけれど、やっぱりホワイトチョコのエリーゼがおいしい。と言いながらもう一つ食べよう。おやつって(適量ならば!)幸せだ。

 

風の冷たく寒い日だったなあ。

消化

大食い番組を、うわーっと言いながら息子が嬉々として見ている。こちらはうへーっである。大食いとしてのプロ意識など出演者にはいろいろとあるのだろう。が、やはりうへーっと思う。わたしはあまり見たくない。だってさあ...など、批判めいたことを思っていた時にふと気づいた。わたしもある意味、大食いだ。大食いというか、食べてすらいないときもある...。それってどうなの。

 

↓↓↓

図書館で気になる本があったらすぐに予約する。きっと図書館スタッフは『またこの人の予約だ』と思っていることでしょう。10冊まで借りられる。だから10冊借りる。借りた時にぜーんぶ読めると思っている。そんな時間がどこにあると、わたしは思っているのだろう。そして、気になる本があればまた予約する。本当は一冊ずつじっくり味わいたい。つまみ食いのような読み方もできるけれど、本当は...一冊ずつじっくり味わいたいのになあ、と自分で自分を急かしながら読む。なんだこれは。おかしい。

 

本が逃げると思っているのか?逃げないのにねえ。いつだって、図書館で待っているのに。こうゆう借り方はやめたほうがいいな。消化してから次を借りるようにしよう。と考えたりしていて、2021年は消化だなあ、と思ったり。消化して吸収したいものだ。...そうしたらちゃんと出てくるのかな!わたしの表現したいものがさ。

電話

母と長電話する。母から電話をかけてくることはない(いろいろあって、わたしに気をつかっている)。前日に「明日の午前中電話するね」とLINEする。この時間は電話する時間!と前日からわたしは心の準備をする。こうするようになって、電話へのわたしの苦手意識がだいぶなくなってきた。わたしの宣言LINE。話した言葉をマインドマップみたいにして書き出していったらおもしろいなあ、と母の話しを聞きながら思った。全部ちゃんとつながっている。おもしろいと思う。楽しいおしゃべりだった。この時間はこれに使う!と決めることはとてもいい。満足している。

 

母が、親が、年老いていくということが嫌だった。嫌というか、さみしい。でも、わたしもちゃんと年をとっていっている。白髪も自己主張をし始めた。わたしが若いままいるわけではない。みーんな、ひとつずつ年をとっていく。ちゃんと。不老不死のひとなんていない。不老不死こそ、かなしいことかもしれない。前に見たドラえもんの映画で、たしか見た目が子どものままの月に住むうさぎのような耳を持ったヒトが嘆いていた記憶がある。ずっと生き続けることはつらい、というようなことを。ひとは、ちゃんとちゃんと年をとっていくんだもの。だから、さみしいをたぶん超えたというか、だいじょうぶだなと思えてきた。わたしも年をとっていくのだもの。みんな年をとっていく。

 

また電話しよう。

日常

壺から出てきた数々の記憶に、自分というやつは...と思ったりしていた。ほんの少し過去にとらわれる。ダメだ、とダメ出しをするとますます元気がなくなるね。

 

***

いつも通り、幼稚園に送る。自転車をこぎながら顔に当たる氷の粒?雨ではなくて、雪なのか?ひょうなのか?粒々がジャンパーに残る。冷たいマッサージ。刺激を与えてくれる。

 

親指のイボ治療に行く。女医さんはやっぱりあの独特の感じがわたしは好きだと毎回思う。女医さんはわたしの親指をしばらく握り「もう少しだからね」と言う。いつも。今日は少しイボが削れた。いつもよりジューッとやいてくれてとても痛かった。目が覚めた。

...

幼稚園お迎え。仲良しの子どもたちと少し遊ぶ。帰り道、ネコちゃんがいた。子どもたちが撫でようと追いかけたら、飼い主さんが窓をガラガラっと勢いよく開けて顔を出した。「追いかけないで!」とちょっと苛立っていた(苛立ったひとはこわっ!ってことを改めて気づかせてもらった)。「なんで?」と果敢に子ども。「なんでも...(少しいかりをしずめ)。ほら、噛まれたら責任取れないから...」と引きつった笑顔?で言う。子どもはさーっとその場から離れた。わたしと友だちは心がギュッとなった。今までさわられたりするの嫌だったんだね、と友だちがわたしにそっと言った。ね、と言って、しばらくしょんぼりした。だけど今は、飼い主さんは気持ちをわたしたちに伝えられてよかったなあ、とも思った。イヤだなあ、と思うことは我慢し続けてはいけない。意思表示しなくちゃね。

 

台所でコーヒーを飲みながらこのブログを書いている。やっぱり幸せだ。書きたい、と思える気持ちが幸せだ。

 

***

こういった日常のささいな出来事が、あの壺から出てくる(本当にどうでもよいとも言える)記憶を消していくのだなあ。日常のささいなことは軟膏のようだ。日常、生きているということ。しっかり生きていこう!とすら書きながら、今思っている。

 

春になったら幼稚園最後の年。園バスを使わないで送り迎えしようと思い始めた。意外に、この送迎でいろいろなことを感じていると気づいたから。それを大切にしてみようと今思っている。

習い事の待ち時間、ママさんとおしゃべりする。普段こうゆうおしゃべりをしていないからか、ちょっとした「噂話」がおもしろくもある。だけど、自分のしゃべった言葉を帰ってきてから反省した。私より一回り若いママさんの方がよっぽど大人だ。

 

個人面談の話しになって。あの先生はあーだこーだと話す。「え!!そうなの!!」とわたし。常々オーバーリアクションなところがある(...これも小さいリアクションに変えていきたいものだ)。「わたしはさ、あの先生に刺された」なとど抽象的に言う。本当に、心を刺された感じだったから、そう伝えたのだけど。具体的に何があったんだっけ?と思った。一年前のことのはずなのに、すっかり忘れている。ママさんは具体的にこうゆうことがあり、それは間違っていることだから私は先生にこう伝えたの!と教えてくれた。筋が通っている。話しが分かりやすい。ママさんに「(先生が言っていることは)間違ってはいないことだったの?」ともう一度聞かれて、「先生の言い方かなあ」と返す。その時に思い出そうとしても思い出せなくて。その先生にまつわる話しになった。

 

わたしの脳はわたしの投げかけ(面談で刺されたとは何があったのか?)に真面目に答えてくれた。脳は質問するとちゃんと答えを探してくれるのだそうだ(だから、難しい抽象的な質問をすると脳は疲弊するのだそう)。湯船につかりながら、具体的に思い出した。そうだそうだ。これこれ、と。

 

全ては、これがきっかけだったのだ。お皿を洗っていても、寝ようとした時にしても、思い出したくない様々な過去が顔を出してくるようになった。うー!...仕事中、眠くて眠くてたまらない時があって、同期がそれをしっかり見ていた。「ものすごい顔してたよ」と笑いながら。とか。一緒に食事をしたひとがクレジットで支払いをしていて。そのフルネーム、文字のくせまで思い出して。その食事がものすごくものすごくつまらなくて。食事しましょう、と言ったのはわたしだから申し訳なかった、というか大変な失敗だったなあ。とか。そんな記憶消えてしまっていいのに、ふつふついろんないや~な記憶が出てきてしまった。

 

蓋がはずれてしまった、ということだ。

出てきたのなら、

このまま消えてしまってくれー。

かわいいわたしたち

午前零時。この時間にパンを焼いている。『ボウルひとつでおかずパン』という本を四年前くらいに図書館で借りてから、このレシピが気に入って何度も作っている。明日の朝食べる(※こんなことめったにしないが)。今、待ち時間だ。待ちながら、今日を振り返る。

 

娘の横顔を思い出す。同じ幼稚園の子が、おっしゃれーな靴をはいていた。こうゆう時「わー、かわいいねー」とわたしはつい言ってしまう。リュックにじゃらじゃらついたキーホルダーを見ては「わー、かわいいねー」とまたわたし。娘はじーっと見ていた。わたしがかわいいと言ったものを、真顔で見ていた。

「うわー、かわいい」と言った時に「○ちゃん(娘)だってかわいいよ」とちょっと困った顔してわたしに言ってくれる娘のお友だちがいる。そう何度か言ってくれた時に、やっと気づいた。気づかされた。わたしは娘のことをとてもかわいいと思っている。思っているのにな。他の子を「かわいい」と言った時に、娘はなんともいえないさみしそうな顔をする。『わたしはかわいくないのかな?』と言ったような顔とでもいうか。そうゆう顔をする。うまく書けないな。この前、折り紙でウサギを作った。わたしは顔をかきながら「あんまりかわいくなくなっちゃた」とちょっと笑いながら娘に言った。「そんなことないよ!かわいいよ!」と娘。そう、わたしはこんな調子になってしまう。

 

ああ!もっと!ほがらかに!生きたいものだ。娘とたくさん笑おう。「かわいい」をわたしたちに使おう。わたしたちに「かわいい」を使ってにっこりしよう。夜中らしい文章、ごめんあそばせ。

パンが焼けました。

おやすみなさい。