おはようティラミス

「私をひっぱりあげて」くれる数々のことを、綴ってみることにしました。

信じている木

「ちょっと変わってるんで

 気をつけたほうがいいですよ」

 

マスク越しに、そうつぶやくママ。

 

怒鳴り声のような女の人の声が聞こえる。

 

―たしかに、この家の住人は

 変わってるんだろうな。

 

年中、家中の窓のシャッターは

多分、開けられることはない。

シャッターを開けない暮らし、

というものについて想像してみる。

どんよりする。ため息が出る。

けれど、

安心するのかもしれない。

安心できる穴蔵のようなのかもしれない。

ただめんどくさいのかもしれないけれど、

きっと、こわいのだと思う。

 

うちにいるアメリカザリガニ

「かめの小島」という石の隠れ家を

買い与えたところ、

一切出てこなくなった。

夜中起きていると、

ガサゴソ音がする。

 

この前、その気をつけたほうがいい人

の家の前を通ったら、

小さな庭に白い梅が咲いていた。

光を浴びて、金色みたいな白だった。

これが目に焼き付いて仕方がない。

 

あー、満開だ。

 

別な日に、友だちとしゃべりながら

ふと見たら、白い梅と一緒に

紅い梅も咲いていた!

 

小さな庭に咲き誇る

紅白の大きな梅の木。

 

この木を植えたのは誰だろう。

きっと、今は亡きその家の住人であろう。

きっとわくわくしながら植えたはずだ。

春が楽しみになるように植えたはず。

 

時々、住人を見かける。

やっぱり少し変わっている。

もしかしたら、

変わってしまったのかもしれない。

変わった人になるのなんて、

紙一重だと私は思う。

誰だって、多分

誰かに信じてもらえなかったり、

自分を信じられなくなったり

誰かに馬鹿にされたり、

自分を馬鹿にするようになったり

それが積み重なったら、

そうなってしまうんだと思う。

 

あの住人も梅を見るのだろうか。

二階のシャッターも開けて、

一階のシャッターも開けて、

家から梅を眺めたらどんなにいいか、

と思う。

 

紅白の梅は、

住人のことを信じている気がする。

ものすごく信じて咲いている気がする。

 

「本当にきれいな梅ですね」