この前、カナヘビの水飲みシーンを初めて見た。おしぼりの入れ物の蓋が水入れになっている。縁に手をかけ頭をつっこみ、まるで猫のように舌でペロペロ。ごくごくおいしそうに飲んでいた。
日の当たる場所に入れ物を置いておくと、日向ぼっこしに隠れ家から出てくる。私は家のまわりやベランダにいる虫(ユスリカやコバエ、時にクモ)を捕まえてあげる。カナヘビはエサを見つけると顔を一瞬斜めにして、ぱくっと食べる。しっかりした大きめの虫だと軽くジャンプしておいしそうに丸飲みして、舌でペロペロ、口のまわりをなめる。そしてまた日向ぼっこをする。だんだん目が閉じていく。といっても片目はあいている。あまりに暑くなると、隠れ家に潜り込む。日が沈むと、とぐろを巻いて隠れ家の下で寝る。そんな毎日のよう。家事の合間、行き詰まった時に、ちょいちょい見る。ほっとする。
この前図鑑を見ていたら、トカゲには頭頂眼という光をキャッチするものがあるらしい。カナヘビにもあるのかな?と頭をよく見るけれど、それらしきものがどれかは分からない。耳は鼓膜が丸出しらしい。あまりに大きな音がすると破れたりしないのだろうか。なんてことまで思う。そして、「私はなんで好きになってしまったのだろう」、と毎回思う。
小さな体は、毎日ちゃんと生きている。
もしかしたら、命は...
毎朝、実はそう思っている。
そうやって覚悟しながら見ている。
だから、毎日ちゃんと生きていて、
良かったと毎日思う。
時々、手のひらにのせる。私の手にはのるけれど、子どもたちの手にはそう簡単にはのらないように見える。『ほら見たことか』内心思う。だって毎日気にかけて、世話をし、餌を取って、あげているのは私だもの。
しかし。
この前、手のひらにのせようとしたら、ものすごくイヤそうだった。しつこく手にのせようとしたら、ビクビクしているようにも見えた。そしてジャンプしてどこかに行こうとした。そんなあ、と思った。
「ミドリガメを飼っている」、と『月刊佐藤ジュンコ』に書いてあるページがあった。「全然なつきません」、と。そうゆうことだ。
馬鹿だなあ、と思うかもしれないが書こう。
相思相愛にはなれないんだ。
相思相愛と言うと行き過ぎかもしれないけれどね、愛情を愛情で返してくれる生き物ってすごいんだなあ。
私が体調崩して万が一入院とかなったら、誰がこのカナヘビの面倒を見るのだろう、と思う。ぶんぶん(と頭をふる音)。生き物を飼うということは責任があるんだった!肝に銘じよう。
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咳がうるさい、と言われて一階におりてコタツでこんなのを書く。楽しかった。ホットミルクにハチミツでも入れたら咳にも良いだろうか。やってみよう。
グッドナイト。